学問の神様として知られる「天神さま」こと菅原道真の生涯と死後の怨霊の祟りなどを描いた「北野天神縁起絵巻(平成記録本)」全9巻が21日より、九州国立博物館にて公開されている。同絵巻は13世紀ごろ制作され、国宝として北野天満宮が所蔵している「北野天神縁起絵巻(承久本)」を高精細複製したもの。平成記録本自体も北野天満宮に奉納されており、「高精細複製された絵巻が奉納されることは初めて」だという。総延長80mにも及ぶ絵巻物の全てを見ることができる展示構成となっており、学術的資料としても、また芸術的観点からも貴重な機会といえる。期間は11月3日まで。

九州国立博物館は、東京、京都、奈良につぐ日本で4番目の国立博物館として2005年10月にオープンした。今年で3周年を迎える。太宰府天満宮の土地の一部を譲り受けており、静かな木立の中に建つ近未来的な外観が印象的

北野天神縁起絵巻は30種類ほど現存しているとされるが、承久本はその中でも最古のもの。13世紀に制作され、北野天満宮ではご神宝として尊ばれている。菅原道真(天神さま)の波乱に満ちた生涯と、怨霊となってからの祟り、天満宮の創建に関わる内容などを描いた1~6巻と、修行中の僧「日蔵」による地獄巡りの様子を描いた7・8巻、原本の裏打ちの紙として使用されていたものをひとつにまとめた9巻の、全9巻で構成されている。

会場の入り口

会場風景。各巻の長さは最も長い巻で約1184cm、総延長は80mにもなる一大絵巻

13世紀に描かれたとは思えないほどのダイナミックな構成、極彩色の色づかい、そして丁寧に描きこまれた人物や景物の描写などは、時を越えて見る者に新鮮な感動を与える。九州国立博物館研究員の松川博一氏は「普通、横に使う料紙を縦置きに継ぐことで、ダイナミックな画面が展開されているところが特長。絵巻物の紙幅は30cm前後が一般的だが、北野天神縁起絵巻は幅52cm」と話す。平成記録本は2008年度の状態をそのまま再現したものであり、承久本を2008年に持ちうる最高の技術を使って記録した本として「平成記録本」と命名され、2008年4月には北野天満宮に奉納された。

九州国立博物館研究員の松川博一氏

日本HP執行役員の挽野元氏

平成記録本は、日本ヒューレット・パッカード(以下、日本HP)が芸術作品の高精細複製を行う「デジタルファインアート(DFA)」を普及させる取り組みの一環として制作された。これまで、京都・南禅寺の『群虎図(重要文化財)』、醍醐寺『五大尊像(国宝)』、大徳寺瑞峯院『堅田図襖絵』をはじめ、北野天満宮屏風絵『雲龍図屏風(重要文化財)』、サルバドール・ダリの代表作『ヴィーナスの夢』などの高精細複製を手がけている。

グラフィクス向け大判プリンタ「HP Dsignjet Z3100ps GP Photo」は高画質カラーグラフィクス印刷を実現する大判プリンタで、写真の出力や英国ナショナルギャラリーでの絵画研究・保存などにも活用されている

高精細複製を行うにあたっては、ハッセルブラッド社製H3Dデジタルカメラ(3,900万画素)を使用。2007年10月から約5カ月間かけて作業が進められた。デジタルカメラで撮影したデータを元に、オリジナルに限りなく近い色調や明暗を再現するためのカラーマッチング、カラープロファイリングを繰り返し、「HP Dsignjet Z3100ps GP Photo」で和紙に出力。色使いや"かすれ"などはもちろんのこと、和紙の継ぎ目まで忠実に再現されており、一見ではオリジナルとの区別がつかないほどだ。

日本HP執行役員の挽野元氏は「HPでは全世界規模で社会貢献を行っており、そのひとつがイメージプリンティング技術を用いた芸術作品の保護。なかでも、日本では国宝や重要文化財といった文化財保護の目的が大きいと言えます。今回、ご神体と呼ばれる国宝の高精彩複製に携われたことは光栄なこと」と話す。

同館では、特別展「国宝天神さま 菅原道真の時代と天満宮の至宝」が11月30日まで開催されている。こちらでは、平成記録本のオリジナルである承久本の4・6巻の一部を見ることができる(27日からは3・5巻を展示)

承久本の一部公開などはあったが、全てを公開することは今までなかった。今回、80mに及ぶ全ての内容が一般公開されたことで、絵画研究家にとっても貴重な機会といえるだろう。また、九州国立博物館は太宰府天満宮など天神さまゆかりの場所にほど近いところに位置するため、観光のついでなどに天神さまについて学ぶのも、一興。松川氏は「全巻を通して見るとまた新たな発見があるはず。太宰府天満宮や特別展とあわせて、是非足を運んでほしい」と話している。

北野天神縁起絵巻の一部を紹介

ある日、幼い子供(道真)が菅原是善公の前に現れ、わが父となってほしいという。それを是善公は受け入れ、お育てになる。このシーンは神霊の誕生を示しているという

道真は宇多天皇の寵愛を受け、出世街道を突き進む。この場面では、道真が権大納言・右大将に昇進が決まり、内裏へと向かうところ。ちなみに道真が活躍したのは9世紀後半だが、縁起で描かれている服装は13世紀のものであり、縁起が描かれた時代の風俗が窺える

醍醐天皇が宇多法王のところへ訪問し、当時政界No.1だった藤原時平と、No.2の道真のどちらに政務を任せるか議論する。結果、道真に軍配が上がることとなり、道真はその旨を申し渡される

時平の讒言により、道真は大宰府左遷を言い渡される。画面は有名な飛梅の話。都を離れることとなった道真は、紅梅殿の梅に「東風吹かば……」と詠いかける。すると、一夜のうちに梅は大宰府の地へと飛んでいった

道真は延喜3(903)年、59歳の生涯を終える。道真の遺体を埋葬地へと運ぶ途中、牛舎が突然動かなくなったので、これが道真の意思と思った人々は、牛舎が止まった場所を墓所として埋葬した。この地が現在の大宰府天満宮と言われている

政務が行われた清涼殿に雷を落とすシーンは2度ある。こちらが1度目。この雷神は一説には道真本人とも言われる。刀を抜いて相対するのは藤原時平

藤原時平はやがて危篤に陥り、息を引き取る。その後起こった2度目の雷神襲来では、またも清涼殿に雷が落とされ、多くの死傷者を出した

修行中の日蔵が地獄巡りをする7巻。最初は八大地獄を日蔵が巡る設定だが、途中から日蔵の姿はなく、地獄での凄惨なシーンが続く

8巻では、常に飢餓に苦しむ姿を現した餓鬼道や、生活や病気などで苦しむ人間界を表した人道といった六道絵が表されている。最後は天女たちが管弦など楽しむ天道が描かれ、それも最後は天女も朽ち果て、土にかえるという結末

制作途中で頓挫し、下絵だけが残ったとされる9巻。どのような過程を通じて、作画されたかを調べる上でも貴重な資料となっている