オランダ第3の都市・ハーグから路面電車にゆられて20分ほど。車窓から小川や牛の放牧、風車など、のどかな田園風景を眺めているうちに、あっという間にデルフトの街に到着する。ヨハネス・フェルメール(以下、フェルメール)は1632年、デルフトに生まれ、43年の生涯をここで終えている。街には今なお、フェルメールが生きた当時の建物が数多く残り、絵の中を旅する気分に浸ることができる。

新教会:「「国際法の父」と呼ばれるグロティウス、オランダ建国の祖オラニエ公ウィレムもここに眠る

高い塔が斜めに傾き、街のどこからでもその姿を見ることができる「旧教会」は、1240年に建てられたデルフト最古の教会だ。フェルメールがここに埋葬されたと記録が残っているが、墓石はまだ発見されていないという。

デルフトの中心地、マルクト広場は、カフェやみやげ物屋のかわいらしい建物が並ぶ、まるでおもちゃ箱をひっくり返したような場所。広場には、厳かに街を見下ろすように新教会の高い塔がたたずむ。塔から毎時奏でられる鐘の音が、乾いた空気の中に響き渡り、旅する人を中世の世界へと連れて行く。

新教会は、オランダ建国の祖オラニエ公ウィレムも埋葬されている由緒ある教会で、フェルメールはここで洗礼を受けており、フェルメールの両親や祖父は、この教会に埋葬されている。教会内部には、博物館のように中世の書物などが展示されて、ステンドグラスに差し込む光を受けて輝くシャンデリアは息を飲むほど美しい。

新教会の内部。中世の書物なども展示されている

まるでフェルメールの絵そのものの風景が楽しめる

新教会のちょうど真向かいに立つ市庁舎もまた、フェルメールゆかりの場所である。1653年4月5日、フェルメールはカタリーナ・ボルネスと、この市庁舎で結婚式を挙げたことが記録に残っている。今も昔も、ヨーロッパでは市庁舎で結婚式をすることが一般的だ。フェルメールはデルフト市庁舎に婚姻届を提出して結婚式を執り行い、その後デルフト郊外でささやかな披露宴をあげたという。

オランダでは、市庁舎で結婚式を行うのが一般的。フェルメールもここに婚姻届を出した

「牛乳を注ぐ女」の像

マルクト広場の周辺には、小道と運河が迷路のように入り組み、街に吸い寄せられるかのように道を右に左に歩いていくと、自転車に乗って気持ち良さそうに駆け抜ける地元の人の姿が。観光客にはわかりづらい小道も、街に住む人にとっては、気持ち良いサイクリングロード。中世の建築物がそのまま残る街並みの中を颯爽と走るのは、自転車愛好者の多いオランダならではの風景だ。

地図を片手に、迷うように街を歩き、道行く人に、フェルメールの画集を見せて道を尋ねてみた。

「この絵の風景を訪ねて見たいのですが……」。

「絵の中のこの教会は、あそこに見える教会だよ。この門は現存していないけど、この教会なら向こうにあるよ」

「絵をよく見せて。これはたぶん、向こうだわ。これは新教会だね」

尋ねた人誰もが、17世紀の絵を、まるで写真でも見るかのようにながめ、絵の中に描かれた場所を指差してくれた。

残念ながらこの街に今はフェルメールの原画はないが、街のいたるところに、絵のプレートが設置され、絵が街の景色にすっと溶け込んでいる。フェルメールの絵は、街の人にとって過去ではない。今も生き続ける風景なのだろう。

デルフトの町並み

「フェルメールセンター」、原画はないが、映像やレプリカでフェルメールの足跡をたどることができる。アトリエを再現した部屋も

街の伝統産業である「デルフト陶器」。特徴的な青い色は、「デルフト・ブルー」と呼ばれている

デルフト陶器は今も手作業で絵付けが行われている

ハーグ駅と町並み

ハーグのマウリッツハイス美術館。『真珠の耳飾りの少女』、『デルフトの眺望』などを所蔵している。デルフトとハーグは目と鼻の先なので、両方の街を1日で訪ねることができる

デルフト : ロッテルダムとハーグの中間に位置する。フェルメールの生まれ故郷として、また、デルフト焼きの産地として有名。アムステルダムからハーグまで、鉄道で約1時間。そこから電車で約10分、または路面電車で約20分。