世界中のデジタルシネマを集めた映画祭、『SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2008』が埼玉県川口市の映像インキュベーション施設、SKIPシティにおいて開催された。

毎回、招待作品として話題の最新作が上映されるのが目玉のひとつだが、今回はデジタルシネマの技術を使った映画以外のコンテンツとして注目されるODP(Other Digital Stuff)の作品として、SKIPシティと縁が深い山田洋次監督が初めて手がけたシネマ歌舞伎『人情噺文七元結』が上映された。同映画祭ではすでにオープニング作品として19日に上映された同作だが、山田洋次監督と主演の中村勘三郎の舞台挨拶がある事もあってか、会場は満席の観客で埋め尽くされた。

映画と歌舞伎の夢の顔合わせが実現した

シネマ歌舞伎とは歌舞伎の舞台を最新の高性能HDカメラ(SONY F23など)を駆使して撮影し、デジタル編集し、デジタルシネマプロジェクターでデジタル上映する新しい映像作品だ。その時限りの舞台作品を最高の映像で保存し、世界中に急速に普及しているデジタルシアターで歌舞伎が楽しめるという、映画と演劇の枠を超えたまったく新しいエンタテイメントと言える。松竹では2003年の野田秀樹の作、演出による『野田版 鼠小僧』から積極的にシネマ歌舞伎に取り組んできた。デジタル映像制作の機材やスタジオを揃えるSKIPシティには、4K(※)デジタルシネマ上映システムを完備した映像ホールがあり、以前よりシネマ歌舞伎の上映を行なっている。

※4K:フルHD(High Definition)の4倍を超える885万画素の超高精細映像

シネマ歌舞伎6作目にあたる『人情噺文七元結』は、寅さんの、というより『たそがれ清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』で名実ともに世界の名匠・山田洋次監督が演出を担当した話題作。同作は明治時代に三遊亭圓朝が口演した落語『文七元結』を元にしたもので、歌舞伎では"世話物"といわれる町人の生活を描いた作品だ。

左官の長兵衛(勘三郎)は腕は立つし人柄もいいが大の博打好きで、女房のお兼(中村扇雀)と喧嘩が絶えない。これを見かねた娘のお久(中村芝のぶ)は吉原に身を売る。事情を察した妓楼・芝海老のお駒(中村芝翫)が心を入れ替えるように長兵衛を諭し、五十両を貸し与える。すっかり目が覚めた長兵衛が家路に着くと、店の売掛金をなくし、大川に身投げをしようとしている若い男(中村勘太郎)に出くわし、気の毒に思った長兵衛は借りたばかりの大金を渡してしまい……。

シネマ歌舞伎『人情噺文七元結』
Cinema Kabuki Nijobanashi Bunshichi Mottoi(The Tale of Bunshichi)
(c)松竹株式会社

登場人物すべてが人間味溢れたいい人ばかりという笑いと涙の人情噺を、人情喜劇の山田監督が磨きをかけたのが、このシネマ歌舞伎『人情噺文七元結』というわけだ。

今回、山田監督が演出に関わる事になったのは、監督が2005年にニューヨーク映画祭で上映された『野田版 鼠小僧』を見て深い感銘を受けたことにある。帰国後、勘三郎に会った監督がシネマ歌舞伎のすばらしさを熱く語ったところ、勘三郎が「今度、文七元結をやるんですが、監督にぜひ撮っていただけませんか」と言い出したとのこと。勘三郎は「私のおじいちゃんで、六代目の尾上菊五郎が小津安二郎監督に『鏡獅子』を撮っていただいているんですが、それ以来という事になります。いま、歌舞伎を撮るなら、日本の最高の映画監督にお願いしたいと思ったわけです」と語っている。落語に造詣が深い監督は題材がお気に入りの『文七元結』という事もあって、勘三郎の依頼を引き受けたという。

「これからも山田監督にいろいろな作品に手を入れてもらいたい」と勘三郎。「映画でも勘三郎さんを撮ってみたいが、二ヶ月も(スケジュールを)押さえるのは大変でしょう」と監督

シネマ歌舞伎はもちろん舞台の演出自体がはじめての山田監督は、歌舞伎台本そのものに手を入れる補綴(ほてつ)にも挑戦。江戸の町人の着物のボロさ加減やセットの汚しなど、リアルさにも大いにこだわり、昨年10月の新橋演舞場公演の撮影には8台のHDカメラと映画界最高の撮影スタッフを投入して臨んだ。

吉永小百合主演の『母べえ』でロケセットを組んだSKIPシティには何度も足を運んだという山田洋次監督

監督は「テレビの舞台中継は何となく映しているだけで、ここはこうすればいいのに、と日頃から思っていました。天才である圓朝に敬意を払いつつ、すばらしい道具を分解して、修繕して、再生してみせるという仕事ができるといいなと思って取り組みました。楽しく、とても勉強にもなりました」と語り、映像作家としてのシネマ歌舞伎への姿勢を垣間見せた。また、デジタル撮影について山田監督は「鮮明な映像である事だけが大事なのではないと思います。逆に部分的にぼかしたり、モノクロにしたり、といったデジタルだからこそできる事があると思う。演出家がどのように使って行くか、これからだと思います」と語った。

「はじめて来ましたが、こつ然とこんな建物が現れて」と住宅街にあるSKIPシティに驚いたという中村勘三郎

勘三郎は「おじいちゃんの当時の写真を見ると映画のようにリアルなセットを組んでいるんですが、そういうリアルさが大事と思っていると、山田監督のおっしゃる事が一緒だったんです。(中村)芝のぶが手にあかぎれをこさえてきたんで、こういのがいいと褒めてやったら、監督にやるように言われた、と言ったんで褒めるんじゃなかった、なんて事もありました」と語り、会場を大いに沸かせた。四幕目の大団円の構成が変更された事や監督の演出が入る事について勘三郎は「今までやってきた方がやり慣れているという事はあるんですが、やってみるとこっちの方が面白いんです。これからはずっとこっちでいきたいですね」と山田版シネマ歌舞伎にぞっこんの様子だった。

シネマ歌舞伎『人情噺文七元結』は10月18日(土)の東劇から松竹配給で全国順次ロードショー公開される。また、同時に撮影された勘三郎、勘太郎、中村七之助による『連獅子』は来春、公開される。