名門企業の敵対的買収と乗っ取りで暴れ回った1980年代
米ニューヨーク州のマンハッタン近郊にあるクィーンズ出身のIcahn氏はプリンストン大学で心理学を学んだ後、親の希望で入学したニューヨークのメディカルスクールを「"死体"と仕事したくない」という理由で中退している。同氏はまもなくしてニューヨークの金融街(Wall Street)で働き始め、その7年後にあたる1968年にはニューヨーク証券取引所(NYSE)の会員権を獲得、自身の会社を立ち上げている。当初はアービトラージ(Arbitrage)と呼ばれる市場間取引で利ざやを稼いだり、オプション取引を中心に活動していたようだ。その後、取引の内容は買い集めた株式を基に経営陣に企業改革を要求するスタイルへと移行し、要求を呑めない場合は自身の保有株の買い上げを求める、あるいは第三者への転売をちらつかせるなど、経営に直接関与するケースが増えてきた。
「企業乗っ取り屋」としての同氏を最も有名にしたのは、航空会社の米TWA(Trans World Airlines)の敵対的買収だろう。TWAはその設立に大西洋横断飛行で有名なCharles Lindberghが設立に関わったことでも知られる名門企業。1980年代に経営危機に陥った同社は投資家のFrank Lorenzo氏(コンチネンタル航空の経営改革で有名)への買収を打診していたが、最終的にIcahn氏に1985年に買収されている。だがTWAのケースはIcahn氏の活動の中ではどちらかといえば失敗といえるもので、資産売却等で経営改革を試みるものの1992年には連邦破産法を申請、1993年にIcahn氏は同社を去ることになった。その後、2度目の破産の後、2001年に米アメリカン航空(American Airlines)に買収されている。事業としては失敗したケースだったが、これが同氏の名前を一躍有名にするきっかけとなった。
1980年代、Icahnはこうした手法で大手企業に次々と取引を仕掛け、「企業乗っ取り屋」として金融街や企業関係者らの間で恐れられるようになった。当時はグリーンメーラー的な手法が実践されるケースは少なかったため、同氏のやり方が"悪い意味で"よりいっそうクローズアップされる形となった。こうした形で同氏の軍門に下った名門企業群として、RJR Nabisco、Texaco(現在はChevron傘下)などが挙げられる。
Icahn氏は「株価と本来の価値が乖離した企業」を狙う
一般に、投資家といえども各々の得意分野があり、投資活動もその範ちゅうで行われることが多いだろう。そうした得意分野であれば投資先の市場でのポジションや特徴もわかるし、何より経営に食い込むにあたってはその持ち味を活かせる。だがIcahn氏の場合は、そうした物差しに収まらないケースが多いようだ。前述のように同氏の投資分野は非常に多岐にわたり、業界を選ばない。下記に経営権の一部または全体を手中に収めた投資先の例のごく一部を簡単に紹介する(カッコ内は業界)。
- TWA(航空)
- RJR Nabisco(食品)
- Texaco(エネルギー)
- Marvel Comics(出版)
- Stratosphere(カジノホテル)
- Fairmont Hotels(ホテル)
- New Seabury Resort(ゴルフリゾート)
- ImClone Systems(バイオ)
- Revlon(コスメティック)
- American Railcar Industries(鉄道開発)
- Blockbuster(ビデオレンタル)
- Time Warner(メディア)
- Motorola(通信機器)
リゾート開発などある程度グループでくくれる事業もあるが、基本的に企業間の相関性はない。同氏の投資基準はあくまで「優良資産や市場での影響力を持つにも関わらず、株価が低迷している」企業であり、こうした「企業本来の価値と株価が乖離している」ケースを目ざとく発見し、すかさず資金を投入する。同氏のすごさを挙げるとすれば、この嗅覚の良さに尽きる。そして企業の経営に食い込むチャンスをうかがい、隙あらば乗っ取りを完了させる。逆にチャンスがないと判断すれば、好条件での株式売却を狙う。この二段構えの戦略で資産を増やしてきた。同氏は2005年に米Forbesの世界の富豪ランキングで85億ドルの資産で24位にランクインしている。翌年には53位に大幅ランクダウンしてしまうものの、資産自体は87億ドルと順調に増やしているようだ。