ブリティッシュ・エアウェイズ(以下、BA)は21日、東京・銀座三越「英国展」会場にて日本就航60周年を記念したBA歴代ユニフォームのファッションショーを開催した。今回、披露されたBAユニフォームはすべて当時使用されていたもので、BAが設立した1940年代からの貴重なユニフォームばかり。このファッションショーのためだけに英ロンドンから取り寄せたという。着用モデルは、東京のフライトアテンダント専門学校生が務め、BAの歴史を時空を超えて表現する貴重なステージとなった。
設立当時1940年代は襟が開いたブラウス
まずは1940年代。BAは、1940年に設立したブリティッシュ・オーバーシーズ・エアウェイズ・コーポレーション(以下、BOAC)を起源とする。このユニフォームは、1946年にモーリス・ヘルマンがデザイン。襟が開いたブラウスを導入した1952年登場時のものだ。1948年、BOACは英プール - 香港間で既に就航されていたプリマス飛行艇(水上飛行艇)でのルートを日本の山口県・岩国市まで延長。その後すぐに横浜まで延長された。岩国市と横浜市にこの英国系キャビンアテンダントが颯爽と降り立った60年前といえば、本国イギリスではロンドンオリンピックが開催され、日本では国鉄が戦後初の白紙ダイヤ改正を行った時代だ。
1960年は流行を取り入れたポップデザイン
今でもキュートで刺激的にすら感じられるこちらの"ペーパー・ドレス"は、1960年代のもの。ニューヨーク - カリブ海間のフライトで使用されたユニフォームで、白い生地をベースに、南国をイメージさせる花や緑があしらわれ、濃い色のタイツ、緑のアクセサリー付きシューズ、白い手袋がセットとなっていた。この時代の流行のポップファッションとヒッピー文化の象徴であったフラワー・パワー・サイケデリックが大胆に取り入れられた衣装だと言えるだろう。このような英国生まれのポップデザインは、その後、"ビートルズ旋風"とともに英国文化が世界に波及した時代となった。
そして、映画『2001年宇宙の旅』のワンシーンを髣髴させるワンピースタイプのユニフォームは、クライブ・エバンスのデザインによるユニフォームで、1970年から登場した。化学繊維テリレーンと綿のあや織りで、コーラルピンクとターコイズブルーの2色のどちらかを選ぶことができた。このスタイルは、1960年代の宇宙開拓時代を反映。カチッとした幾何学的なラインと硬い生地が特徴でもある。1971年、現代でも活躍している通称"ジャンボ"=ボーイング747も営業運行を開始。BOACとしては、ヒースロー - ニューヨーク間にB747を充当。このジャンボの登場が、大量輸送時代の幕開けを告げた。
1972年に登場したのは、BOACと合併することとなるブリティッシュ・ヨーロピアン・エアライン(BEA)のユニフォーム。ハーディ・エイミスによるデザイン。BOACとBEAは合併後し、1974年3月、今の形となった。BAの最初のユニフォームとして、同ユニフォームが引き継がれた。
BA初の全地域共通ユニフォームは1970年代に登場
BA第2弾となるユニフォームは、あの英国最高級洋服メーカー、バカラ・ウェザーウォールがデザインを手がけ、1977年に登場。BAが全地域共通で使用するユニフォームとしては第1号となる。この1976年には、飛行機の超音速化が騒がれた時代で、「コンコルド」が世界中の注目を集めて登場した。BAはいち早くその新機材を調達。バーレーン線へ充当させた。その後、BAコンコルドは、ワシントンD.C.、シンガポール、バルバドスへと足を延ばし、超音速機を所有する英国航空グループとしてBAを世界に知らしめた。写真のパンツタイプのユニフォームは、男女共通のファッションとして紹介され、当時、その是非について論争を巻き起こした衣装としても知られている。夏服は涼しい白を基調にしたデザインとなっている。
そして時代は1980年代へ。1988年、BAはスコットランドのブリティッシュ・カレドニアン航空(BCAL)とも合併。効果的な広告として"カレドニアン・ガール"を打ち出し、タータン模様を英国全域に広めた。合併後もこのカレドニアン・オリジナルなユニフォームが継続され、タータンは、クラン、ハンティング、ドレスの3種類が用意されていた。
次は民営化が始まる2年前(1985年)に、フランス人のローランド・クラインによるデザインで登場したユニフォーム。ウール100%のネイビー・ジャケットに、赤、青、グレーのストライプが入ったブラウスを合わせたものとなった。これらのデザインは、当時の服装のトレンドを反映するとともに、実務的なニーズにも合うようにデザインされ、整備担当者や地上職など、約13,000名のスタッフが着用したという。そして1987年、BAは民営化へと歩んでいく。
1990年代、再びロンドン・コレクションに
1990年代、BAユニフォームは再びロンドン・コレクションに。ポール・コステロのデザインによる、伝統とカジュアルの両方を組み合わせたグローバル・デザインが特徴的だ。登場時、ポール・コステロは、「新しいユニフォームの目的を達成できたと信じている。エレガントでクラシックな装いだ」と語っている。また、この時代にボーイング777(トリプルセブン)が誕生。BAは777をドバイおよびオマーン・マスカットへの路線へ充当した。
さあ、ラストはなんと着物だ。着物は日本人乗務員だけに許されたユニフォームとされ、1960年代に日本向け路線にて登場した。着物の種類は統一されることなく、日本人スチュワーデスが自分で調達したといわれている。当時、その路線にはさまざまな"キモノ"が機内に現れ、とても華やかなフライトとなっていたという。BAは、かなり早いタイミングで日本人を起用。日本人スチュワーデスがサービス面で高い評価を得始めたのも、この頃からだとされている。
1948年3月に、英国の港町・プールから山口県の岩国市へ就航した日から60年。4発エンジン、22人乗りの水上飛行艇で丸6日間かけたイギリス - 日本間の旅は、今、ロンドン - 成田間をB747(291席)で、今はおよそ11時間30分。BAユニフォームの歴史も現代のスピードに合わせてスピーティーにご紹介したが、ブリティッシュ・エアウェイズの60年という歴史の長さは十分に味わえたのではないだろうか。BAの歴代ユニフォームは銀座三越「英国展」で5月26日まで展示されている。