東京・渋谷駅で亡き主人の帰りを待ち続けた「忠犬」として有名なハチ公。3月8日は、ハチ公の命日である。ハチ公が亡くなったのは、今から73年前の1935年(昭和10年)。享年13歳だった。不幸にも思えるハチ公の一生だが、晩年は街の人々から愛され、穏やかに過ごす姿が見られている。

ハチ公の晩年の姿を知る東京都・渋谷区在住で彫刻家の佐野一義氏は「ハチ公は白くて立派な、おとなしい犬だった」と語る。

佐野氏が最初にハチ公を見たときの印象は「とにかく"大きい犬がいる"と思った」とのこと。1925年(大正14年)生まれの佐野氏は当時小学生。ハチ公は10歳くらいだった。そのときには、すでにハチ公は街中でも有名な"アイドル犬"だったという。「小学校に入学したときには、ハチ公のことは友達も親もみんな知っていた。子供心に"偉い犬なんだな"と思った」と佐野氏は当時を振り返る。

ハチ公というと、映画や文献では活発な姿も伝えられている。しかし、佐野氏の話によれば「昔は渋谷駅のまわりに飲み屋や屋台がたくさんあって、ハチ公はそのあたりをよく歩いていた。ハチ公はみんなからかわいがられていて、よく頭をなでられていた。僕は犬は嫌いだったのだけど、ハチ公は本当におとなしい犬だったので、そんな僕も頭をなでたことがある。あの頃、ハチ公はもう老犬だったのか――"ハチ公に噛まれた"という話も聞いたことがないし、知っている中で、あんなにおとなしい犬はいない」というように、晩年はとてもおとなしく穏やかな性格だったそうだ。

渋谷駅付近のにぎやかな街中を大型犬が自由に歩き回るという姿は、現在では考えにくい。佐野氏によると「当時は犬は放し飼いが当たり前。渋谷でも、昭和25年(1950年)くらいまでは、野放しの犬がいた」という。今でも山村などで放し飼いの犬を見ることが稀にあるが、当時は都会でも犬は放して飼っていたのだ。

現在、渋谷駅前にはハチ公の銅像があり、待ち合わせの人々などで賑わっている。実はこのハチ公像は2代目。初代の像は昭和10年に建てられたが、戦時中の金属資源不足により昭和19年に供出されてしまった。初代の像は安藤照氏が、そして2代目はその息子である安藤士氏が昭和23年につくったものである。

現在、渋谷駅前に建っている2代目の「忠犬ハチ公像」付近のようす - 供出されたしまたた初代の銅像にはさぞやたくさんの銅が使われていただろうと思ったところ「銅像は"中抜き"してあるので、銅の部分は厚さが5mmくらい。厚くても1cm程度。特に日本人は手先が器用なせいか、西洋よりも薄いものが多い」(佐野氏)とのことで、案外それほどの量でもないのだとか

彫刻家である佐野氏は「初代も2代目も、ほとんど形は変わらない。寸法を測ったわけではないので何とも言えないが、お父さんがつくった初代の像のほうが、ひとまわり大きく見えた。…まあ、後から同じ物をつくる人は損。どうしても、細かいとこで感性の差というか、違いが出てしまうから」と語る。なお、ハチ公像はハチ公が生まれた秋田県大館市の大館駅前にも昭和62年に建てられている。

まだ寒いとはいえ日に日に春の日差しが眩しくなり、暖かくなるこの季節。たまには忠犬ハチ公像の前で誰かと待ち合わせして、遊びに出掛けるのも悪くない。

彫刻家・佐野一義氏 - 佐野氏はハチ公像をつくった安藤士氏の東京美術学校(元・東京藝術大学)の後輩にあたる。また、安藤氏も所属した日本陶彫会の会員でもある。ちなみに"陶彫"とは陶器でつくった彫刻のことで「木で作ったら木彫、石で作ったら石彫。陶器で作るから"陶彫"」(佐野氏)とのこと