最近多くのクルマに搭載され、徐々に普及が進む横滑り防止装置。「VSA (Vehicle Stability Assist)」や「ESC (Electronic Stability Control)」などさまざまな呼称で呼ばれているが、ブレーキやトラクション(駆動力)を制御し、コーナーなどでの横滑りを防止するものだ。これはどういった仕組みで作動しているのか? また、どのくらい効果があるものなのか? 本田技研工業で、安全技術を開発している本田技術研究所 四輪開発センター 第2技術開発室第4ブロック 上席研究員 シニアマネージャー 服部憲治氏にお伺いした。
――まずVSAの仕組みについて教えてください
私はABS(Antilock Brake System)、VSAと一連の開発に携わって来ました。ABSは制動方向の制御ということで1982年の「プレリュード」で技術を確立しました。その後90年ごろに出したトラクションコントロール(TCS)で今度は加速側を制御し、これで縦方向については一応できあがりましたので次の課題が横方向です。スピン(オーバーステア)やドリフトアウト(アンダーステア)を制御していくと、前後方向に加え左右方向をカバーできるということで、必然的に全方位コントロールにたどり着きました。
ここに至るための概念はすごく難しくて、前後方向のコントロールは前後のG(加速度)を見て、タイヤをコントロールするだけですが、これに横方向が追加されると、スピンするのか、アンダーステアで膨らんでいくのか、見極めなくてはいけない。それにはβメソッドという方法がありますが、クルマが進んでいく方向と、クルマの向いている方向の角度で、滑り角(βアングル)というんですけど、これを検出します。社内にその理論解析をしているエンジニアがいて、βメソッドを使って進行方向と滑り角を見て、クルマがスピンしようとしているのか、それとも膨らんでいくのかを見極める理論体系を確立しました。
理論は確立しましたので、今度はそれをどう見極めるか、センシング(検知)しなければいけません。そのために「ヨーレートセンサー」が登場しました。これは加速度センサーとずいぶん違います。加速度センサーは「Gセンサー」と呼ばれるもので、静電容量型が一般的です。Gがかかることで電極の間隔が変わって容量が変化します。これでどのくらいGが出ているか見極めることができます。ヨーレートセンサーはいろいろな形がありますが、例えば音叉のような形で、音叉を振動させてその振動に直交する方向のヨー速度が入ってくると、コリオリ力(転向力)という力が働き、その働きで歪みが生じるんですが、その歪み量を圧電素子などで計測します。今は小型化がどんどん進んでいて、いろんなタイプのものが出ていますが、音叉型のものと同様にコリオリ力の関係からヨーレートを計測しているのが一般的です。
――そのヨーレートから、クルマの動きをコントロールするのでしょうか?
それだけではできません。ヨーレートではクルマがどういう状態かという量を検出しています。一方で、ホンダが一番気にしているのは"ドライバーがどうしたいのか"なんです。ホンダでは横滑り防止装置を「VSA (Vehicle Stability Assist)」と呼んでいますが、"A"という言葉がついているのはホンダだけです。多くの場合、コントロール(Control)という表現をしますが、あえてアシスト(Assist)という名前を付けた理由は、主役は常にドライバーであって、こういったデバイスはあくまで脇役であると。ドライバーの意思を尊重するというのがホンダの基本的な概念としてあるわけです。ドライバーの意思は、ステアリングについている舵角センサーとアクセルペダル・ブレーキペダルの操作量から推定します。それで舵角センサーと車輪速の関係から、ドライバーがクルマをどう動かしたいかという「目標ヨーレート」というものを決めます。これはドライバーがどうしたいのか、どちらへどのくらい旋回したいのかというものです。
次は、目標ヨーレートと実際のセンサーから検出されたヨーレートを比べます。これは概念的にはどこのメーカーも同じです。行きたい方向に対して、目標ヨーレートが実ヨーレートより少なければクルマの走行ラインが膨らんでいる、つまりアンダーステアが発生してドリフトアウトしているという状態です。逆に目標ヨーレートより実ヨーレートが多ければこれはスピンが始まっているという解釈になります。ある限度以上になるとスピンが始まって止まらなくなりますから、その前に介入して車体の挙動を安定させるわけです。
――VSAの車体コントロールはブレーキだけで行なうのでしょうか?
いえ、例えばスピンしそうな場合には、フロントの外輪にブレーキをかけると戻す力が働きますからそれでキャンセルできます。アンダーステアでもクルマの走行ラインが膨らもうとしていますから、リアの内輪にブレーキを掛ければいい。ですが実際にはアクセルを踏んだままのことが多いですから、エンジン出力を絞ったりします。常にエンジンと通信してエンジン出力のコントロールをして、その状況下で車体を戻す力としてブレーキを使うのが基本です。
――ブレーキは4輪独立制御をしているんでしょうか?
そうです。一輪に対してブレーキをかけてクルマの挙動を戻しますから、独立させないと効果が出づらい。アンダーステアが出ている状態はオーバースピードの場合が多いですから、エンジン出力を絞っただけではなく、少しブレーキをかける。ケースバイケースですが、それによって減速させながら内輪に強くブレーキをかけています。
一般的なアンダーステアとオーバーステアで話をしていますが、そのほかにもトラクションの状態も深く関係します。例えば寒冷地では、道路の中央が凍っていて路肩が溶けかけているという場合があります。そういう状況では、デフの特性でミュー(路面摩擦値)の低い側のタイヤが空転することがありますが、これはエンジン出力ではどうにもならない。ミューの低い側にブレーキをかけることで負荷がかかり、ミューの高い側に駆動力が伝達されてスムーズに走行できるようになります。坂道も同じですね。左右でミューの違う路面でも空転しないで、スムーズに発進できるといったメリットもあります。
VSAはスピンしない技術と紹介されることが多く、みなさん「スピンしたことなんかない」とか「道路を飛び出したことなんかない」と言われますが、それ以上にトラクションコントロールによるメリットも大きいわけです。発進をスムーズにしたり、走行中に突然右と左のミューが違う路面でスパッと流れてしまうようなこともない。特に雪解け時の路面はミューがどんどん変わりますから、ドライバーはすごく気を使いますよね。そういうシーンでもスムーズに、安心して走行できる。ドライバーへの負荷がすごく下がります。本当はそういうところをもっとお伝えしなければならないと思っていますが、「VSAって何?」と聞かれた時に、「スピンを防止するシステムです」っていったほうがわかりやすいので、ついそうなってしまいます。
ヨーロッパでは日本より平均して車速が高いですし、必ずしもスタッドレスタイヤに履きかえる人ばかりではなくて、こういうシーンで苦労されている方が多いようです。それでVSAの理解も進んでいますし、需要も高くなっています。日本では理解していただくのにちょっと時間がかかっていると思いますが、やはり一瞬で事故は起こりますので、こういった技術でいつもガードされているということはすごく重要だと考えています。
――ABSの場合でも四輪独立で制御をしているんでしょうか?
もちろんABSが効いている状態でもVSAの姿勢制御は生きています。もともとABSはいろいろなタイプがありまして、初期にはリアだけのABSもありました。リアがロックしないのでテールを振らないという設計ですが、これではフロントはロックしてしまいます。そこで基本的にはフロントが左右独立で制御して、リアはロックしやすいほうを基準に両輪を同時に制御する3チャンネルに進化しました。さらに高い横Gで旋回しているときは4輪独立で制御したほうがいいケースが出てきますので、4輪を独立して制御できるようになりました。現在でも、いろいろな路面、シーンを考えると、3チャンネルを基本にしてケースバイケースで4チャンネルに切り替えたほうがメリットが大きいので、そういう動かし方もしています。
――クルマの状態はどのくらいの頻度で検出しているのですか?
一概にいうのは難しいですが、いわゆる「制御サイクル」と呼ばれているものがそれだと思います。基本的には1/100秒サイクルで動作していますが、センサーによっては1/1000秒オーダーで入ってくる信号もありますし、もっとゆっくりしたサイクルのものもあります。用途によるんです。クルマの動きや挙動変化はそれほど早くはないので、それぞれどのように診断するか、それをどのくらいのサイクルで動かすのが合理的かという時間的な要素がみんな違うんですね。