オダギリジョー×三木聡といえば、当然、『時効警察』である。深夜ドラマの笑える秀作、パート3の登場が待ち遠しい作品(予定があるかどうかわからないが……)だ。そのイメージで、さあ笑わせてもらおうじゃないの、とばかりにこの作品に臨むと期待は裏切られる。鑑賞後は、少し哀しく、それでいてじんわりとあたたかいような気持ち。切なさと優しさが同時に心にわきおこり、ゆっくりしみわたる。
主人公・文哉(オダギリジョー)は大学8年生。84万円の借金があるのに、三色ハミガキを見て現実逃避し、パチンコをしてしまうようないい加減な男だ。幼い頃に両親に捨てられ、育ての親は逮捕。返済のあてのない文哉に、借金取りの福原(三浦友和)はひとつの提案をする。それは、吉祥寺から霞ヶ関までの自分の散歩につき合ってくれたら、報酬として100万円を支払うというものだった。わけのわからない提案だと思いつつも、承諾する文哉。そこから、男二人の東京散歩が始まる。
待ち合わせは井の頭公園。その後、調布飛行場、阿佐ヶ谷、新宿中央公園などなど、あまり書くとネタバレになるので控えるが、いろいろな東京の景色を見ることができる。福原のセリフに「東京は風景が変化に富んでいて、散歩が楽しい」とあるが、まさにその通り。意外な感じだと思う人も多いだろうが、アスファルト・ジャングルだけが東京ではない、ということを実感できる。公園や商店街があり、人が集まり、柿の実のなる狭い路地も健在。クラシックの音色が流れることもあれば、自転車のベルが響きわたることもある。 三木監督作品らしい、小ネタの書かれた看板やのぼりには要注意(『時効警察』の三日月くんも出てきます)だが、男たちの歩く風景の移り変わりが見ていて楽しい。
そんなのんびりした散歩だが、始めた理由にはかなり深刻な事情が。作品全体に漂うのは、"のんびり感"のほうなので、ときどき顔をのぞかせる"深刻さ"にドキッとさせられる。しかもそれを感じているのは、主人公・文哉と観客だけ。そして、この事情を本当の意味で受けとめているのは、福原だけ。映画のテンションをここでバランスよく保っているのだ。
オダギリジョーはこの作品でも、力の抜けた、何に対してもテキトーな、いまどきの青年を好演している。どうして、こんなにもだらしない役が似合うのだろう。それに、変わったヘアスタイル&ヒゲ。この映画に限ったことではないが、無造作以上のヘンな髪型で勝負するオダギリジョー、唯一無二の日本映画界を代表する俳優である。いつまでも、メジャーとマイナーの間を行き交うような存在であってほしいと思う。
今回の三浦友和は、筆者のなかの"いいお父さん"や"良き上司"というイメージを覆す役柄。本来の格好よさを台無しにする風貌には、正直言ってギョッとしたが、内に秘めた優しさを表現するには、やはり彼が適役だったといえよう。
映画後半に出てくる、擬似家族についても触れておこう。二人は、福原の知り合いである、麻紀子(小泉今日子)の家で、数日を過ごすことになる。訳あって、福原が父、麻紀子が母、文哉が息子、そして麻紀子の姪・ふふみ(吉高由里子)が娘という家族のような暮らしをするのだが、このくだりが良い。家族のあたたかさを初めて知る文哉、というふうに書くととてもいやらしい感じがするのだが、実際のシーンはとても自然で、見ていて気持ちがいい。小泉今日子のお母さん役というのは、オダギリジョーを息子とすると年齢をからみて、不自然極まりないはずだ。けれど、実際はそうはなっていない。たとえば、二人でおつかいへ行くところなど、むしろ好ましい親子関係に思えるのだ。また、すっとんきょうな明るさをふりまく、ふふみ役の吉高由里子も、とてもこの役にはまっていてかわいらしい。
エンディングの近づく予感がすると、文哉だけでなく、観客もこの家族をずっと見ていたい、と思うはずだ。監督がそれを意図したのかどうかはわからないが、それにふさわしい素敵な家族ができあがっていたと思う。
最後に岩松了、ふせえり、松重豊、笹野高史ら、三木作品の常連たちについて。もちろん本作にも登場しているが、『亀は意外と速く泳ぐ』、『図鑑に載っていない虫』などとは違って、出演時間は多くない。けれど、彼らを見るとホッとする。贅沢なインターバルという感じだ。
今までの三木作品とは印象のずいぶん違う一本。秋の風景を見ながら、少し笑って、少しほろりときて、冬の前の物悲しい気分に浸るのもいいかもしれません。
11月10日、東京・渋谷アミューズCQN、テアトル新宿ほかにて全国順次ロードショー。
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